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思い出に代わって語りかけてくれる写真を

今日、2月14日は神奈川県の公立高校の入学試験です。朝、いつも通りに長男の背中を見送りながら、私にできることは「頑張りが報われますように」と祈ることだけです。

 

中3になった長男に、「あのときのあれ、覚えてる?」と尋ねると、「写真のなかだけ」と答えることが増えました。日々世界が広がっていく彼には、幼少期の記憶は写真がその役目を担うことが増えました。

 

そして私は改めて、家族の写真を撮ることの味わい深さを感じるようになりました。

 

遊んでもらってどんなに嬉しい顔をしていたのか、とか、

パパとママに抱かれて、どれほど自信に満ちていたのか、とか

いちばん落ち着く指はどの指だったのか、とか。

お渡しする写真の1枚1枚が、何年も経ってからでも意味のある写真になりますように。

いつか忘れてしまう些細な気持ちも、写真を見たら思い出せますように。

そんな気持ちを込めてカメラを構えています。

2月の連休は、私は一眼レフカメラに望遠レンズをつけて、次男の公式戦の応援や、朝から夕方までのカップ戦の応援で、2000枚ほどシャッターを切りました。

年中さんの頃から追ってきた背中が大きくなり、背も伸び、スピードも見違えるほど速くなりました。

 

そんな彼らの姿をファインダー越しに追いながら、いつも胸が熱くなります。

そして、1000枚撮ろうと2000枚撮ろうと、その写真に収めたもの、その写真から伝えたいものは、はっきりと意識しています。

 

背中をかがめて語りかけていたコーチの真剣さとか、

ふざけてはしゃぐ子どもたちの信頼関係とか、

グランド脇で1日付き合ってくれていたちびっ子たちの様子とか、

彼らのために残しておいてあげたい景色がたくさんあります。

 

大切な存在が増えれば増えるほど、カメラの役割が大きくなってきた気がします。

カメラってほんとに、母にとって、気持ちを残せる最高の道具だなあ、と思います。