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はじまりの人 05│世界にひとつの石鹸をつくり続ける人

自信がなくても生み出し続ける、自分だけの仕事

白を基調にした工房に、やわらかな自然光が差し込んでいます。
扉を開ける前から、精油の香りがふわりと通りに広がり、思わず深呼吸をしてしまいます。

ラベンダーやカレンデュラ。植物のやさしい気配が、そのまま空間に溶け込んでいるようです。

店内に一歩足を踏み入れると、美しく並ぶ石鹸と、ドライフラワーや観葉植物に囲まれた静かな世界が広がります。

横浜市金沢区にある石鹸工房「エレナフローラ」では、店舗の奥にある工房で、丁寧に石鹸が作られています。

時間と手間をかけ、素材の力をそのまま引き出す「コールドプロセス製法」。

効率とは対極にあるものです。

保温ボックスでゆっくりと温めて鹸化を進める
保温ボックスでゆっくりと温めて鹸化を進める

この石鹸には、一人の女性が歩んできた時間と選択が、静かに重なっています。

「はじまりの人」4人目では、横浜にある石鹸工房「エレナフローラ」を営む、堺谷みちさんにお話を伺いました。


01│コールドプロセス製法の石鹸とは

エレナフローラの石鹸は、合極めてシンプルで上質な原材料のみを使用し、「コールドプロセス製法」で製造しています。

 

植物油(酸)と水酸化ナトリウム(アルカリ)を合わせると進む「鹸化(けんか)」という自然の化学反応を利用した製法。


大量生産型の工業製品では実現できない、不安定で時間のかかる製造方法です。

原材料にもとことんこだわっており、主な原材料は食べることもできるオリーブオイルやココナッツオイル、シアバターなど。
100%天然の精油が、石鹸を使うときにまでしっかりと届くのも、この製法ならではです。

品質の高い精油が並ぶ
品質の高い精油が並ぶ

アロマオイルの香りと、泡立ちが良いのにさっと肌から離れる心地よさに、リピートするファンの多い石鹸です。

脱気包装を施した石鹸
脱気包装を施した石鹸

でも、どうして、どうやって、堺谷さんは、石鹸の製造販売をはじめ、9年間も継続してきたのでしょうか。

02│10年以上つくり続けた「我が家の石鹸」

堺谷さんと石鹸の出会いは、子育てのなかにありました。

お一人目のお子さんは生まれつき肌が弱く、3歳頃からアトピーの症状に悩まされていました。
インスタント食品や出来あいの食べ物を避け、マクロビを学んで取り入れるなど、できるだけ身体にやさしいものを取り入れました。


それでも、これといった解決策は見つかりませんでした。

 

荒れた肌を隠そうと、暑い夏でもタイツを履く娘さん。見ていて、かわいそうでした。

 

そんなある日、仕事帰りに立ち寄った書店で、一冊の本に出会います。
そこにはオリーブオイルを使った手作り石鹸の作り方が載っていました。

 

「石鹸って、いいんだ。私も作ってみたいな」

 

そう思った堺谷さん。
しかしフルタイムで働き、子どもたちの送り迎えや習い事に追われる毎日。


危険な苛性ソーダを扱えるような場所もなく、
生活の中に石鹸づくりができるような余裕はありませんでした。

 

それでも「作ってみたい」と思っているから、つい職場でも口から出てしまう。「石鹸をつくってみたい」と。

 

するとある日、同僚から言われます。

 

「そんなに作りたいなら、作ればいいじゃない」

 

その一言に背中を押され、作ってみることにしました。

 

堺谷さんの世界が変わる、はじまりの瞬間でした。

03│暮らしが変わり、自分を見失った時間

薬局で身分証をみせ、苛性ソーダを取り寄せました。

 

スペースを作り、はじめて自分で作ったオリーブオイル石鹸。なかなか良いものができました。

 

石鹸に興味をもち、石鹸のことを知っていくうち、堺谷さんはある衝撃を受けました。

それは長い歴史を環境と共存してきた、石鹸の設計でした。

「石鹸は5000年以上も前からあって、羊の油と灰を混ぜたら石鹸のようなものになったのがはじまりといわれています。

 

自然の反応を利用して作った石鹸は、水に溶けるとさっと元の酸とアルカリに分かれ、微生物に食べられて分解されて、自然に戻ります。

 

石鹸について知ったときに、それまで当たり前に市販の洗剤を使い続けて来た私は、衝撃を受けました。生き物も自然も、大好きだったので。

 

自分の使う洗剤に含まれる合成界面活性剤が、未来にわたって川や海を漂い続ける…それならせめて私は、自然に分解される石鹸を使いたいと思いました」

 

色々な本やサイトなどからレシピを研究し、石鹸を作っては、当時書いていたお弁当ブログにも石鹸のことを投稿しました。

 

 

手作り石けんコンテストにも応募し、2度、入賞しました。

 

食器洗い、掃除、洗濯、洗髪、生活のなかの「洗うこと」をすべて石鹸に置き換えていきました。

 

「もう20年以上、石鹸しか使っていないんです。

お風呂を洗うのに、スプレー式洗剤を使うでしょう。あれなんて本当に、石鹸の得意分野なんですよ」

けれど、石鹸づくりはあくまで「趣味」でした。

 

「娘のために、自分のために作っていただけでした。自宅で使うぶんなら、作るのは2~3ヶ月に1回でいいんです。作った石鹸は、お湯で煮て液体石鹸にすると、食器洗いや洗髪にも使いやすくなるんですよ」

 

そうして、石鹸のある暮らしが日常になっていたころ、堺谷さんは子どもたちのためにと転職します。

それまで周囲に恵まれながらおだやかに事務の仕事をしていましたが、
子どもたちが成長し、スポーツや習い事にも打ち込むなか、より良い環境を与えてあげられる存在になりたくて、給与の良い仕事にチャレンジしたのです。

 

ところが、そこで待っていたのは、想像を絶する過酷な環境でした。

 

ワンマン経営者による理不尽なパワハラや暴力も横行する会社。長時間にわたる𠮟責や、夜遅くまで強いられる残業、過重労働。

 

「子どもの誕生日で早く帰れるよう前々から言っていた日に、直前になって接待に同行させられ、深夜まで帰れなかったこともありました。

 

帰るのも遅いのに、翌朝までにやらなければならない仕事もあったり。

子どもたちも母親が帰らないから友達の家に遊びに行ったりと、ちょっとバラバラになってしまって」

なんとか退職できるよう交渉を続けながらも、「何もできない自分が、まともな選択もできないから引き起こしたこと」と自分を責めたといいます。

 

そんななかでたまたま、ある女性経営者が展開する塾に出会います。

「こんな私は、誰かに叱られて鍛えられないと」と申し込んだ堺谷さんは、その塾の研修のなかで、姿勢や話し方といった基本から叩き込まれ、少しずつ自分を取り戻していきました。

04│石鹸を仕事にするために、必要だった「資格」

ようやく退職することができ、失業給付を受けようと行ったハローワークでは、仕事を紹介されました。


そして「研修で学んだ姿勢や話し方が良かったからかも」なのか、すぐに面接が通り、失業給付を受ける間もなく再就職となりました。

 

そして再び事務の仕事をするなかで、石鹸との関係に変化が訪れます。

 

化粧品販売の責任者資格を取得することを目的とした化学分析の専門学校が、大阪にあることを知ったのです。

 

肌に直接使用する石鹸は化粧品と同じで、無資格で製造販売することはできません。

 

石鹸づくりをしていた堺谷さんには「売ってほしい」という依頼もときどき舞い込んできてはいましたが、無許可で製造販売してはいけないことを知っていたため、販売は行いませんでした。

 

「資格を取ったら売れるのかな、と思ってちょっと調べてみたこともあったけれど、理系の大学や薬学部でとるようなものなんです。とても無理だと思って諦めていました」

 

でもその専門学校は、毒物劇物取扱責任者や化粧品製造・販売責任技術者などの資格を取得することを目的として、主に化粧品メーカーなどに勤務する人が、仕事と並行して通うような学校でした。

 

すでに15年以上、オリジナルの配合や製造方法を研究しつくし、「良い石鹸」の確信を持っていた堺谷さんが、「趣味」を「仕事」にするために必要なことは、もう、製造販売許可の資格だけ。

 

資格を取れば売れる。

 

でも、土日通学で2年間。

 

当時の住まいは東京都。学校は大阪。

 

仕事もある。
日々の暮らしがある。

 

普通なら、あきらめる。

 

でも、塾の研修でエネルギーを受け取ったばかりだった堺谷さんは、思いました。

 

「大阪に行きたい。資格を取りたい。そして、石鹸を仕事にしたい」

 

そう心から思ったとき、堺谷さんは50歳でした。

05│大阪の暮らしと母親の看取り

仕事を辞め、大阪に移り、専門学校に入学すると決めた堺谷さんに、反対する声もありました。

 

「石鹸づくりなんて、儲からない。そんなばくちみたいなことをするより、きちんとした仕事をして、趣味でやっていた方がいい」

 

それでも堺谷さんは、大阪に行き、平日は大阪の会社で働いて、週末は専門学校に通うことを選びました。

 

会社の昼休みに勉強し、終業後はファミレスやファストフード店で夜遅くまで参考書を開く。

そんな日々を、2年間続けました。

 

そして、その間には、ニュージーランドに住んでいたお母さまを迎えに行き、日本で看取りをする経験をしました。

 

堺谷さんのお母さまはシングルマザーとして子どもを育てながら、自ら事業を行い、仕事を生み出し続けてきたエネルギッシュな女性でした。

「いつか世界一周に行くんだといつも言っていて、私と弟を育て上げると、本当にTシャツにバックパックで、世界一周に出ていってしまった。あちこちの国を巡っていて、たまに絵葉書が届くんです」

 

複数の国を巡った末、最後はニュージーランドに住み、バラを育て、羊とともに暮らしていました。
そのお母さまが余命宣告を受け、日本で最期を迎えたいと願います。

 

迎えに行き、最期の時間をともに過ごしました。

 

「仕事が大好き」と公言していたお母さまは、亡くなる直前まで、仕事のことを考えていました。

06│広げることから、戻るという選択

お母さまの看取りや仕事と学業を両立する日々を乗り越え、化粧品製造業、化粧品製造販売業の資格を取得。

 

先行して準備を進めていた工房を横浜市金沢区にオープンし、2017年、「エレナフローラ」がスタートしました。

良い石鹸はずっと前から作れるようになっています。あとは知ってもらうこと、手に取ってもらうこと。

写真や発信方法も学び、SNSやホームページでこつこつと丁寧に発信し続けました。

 

いちど手に取ってくれた方はリピートしてくれ、紹介してくれました。

百貨店でのポップアップストアにも出店するようになり、ECサイトでの売り上げも伸び、OEMの依頼も増えていきました。

市販品では考えられないほどたっぷりと使用するシアバター
市販品では考えられないほどたっぷりと使用するシアバター

やがて製造や梱包などを行うスタッフも増え、事業は広がっていきました。

堺谷さんの目標は、「石鹸を作ること」から、「スタッフの仕事を作ること」に変わっていきました。

 

「みなさん石鹸が好きで来てくれた、本当に良い方ばかりです。介護をしていたり、病気を経験していたり、そんな皆さんが、安心して仕事をできるようになったらいいなと思いました」

ペット向けのシリーズも人気に。
ペット向けのシリーズも人気に。

「それに、人を育てれば、自分のできることを石鹸づくりや梱包などの作業から、もっとほかの分野に移していくことができる。だから、投資のひとつだとも考えていました」

 

けれど、少しずつ、違和感が重なっていきました。

 

「ちょっとしたことなんです。泡が入っているのに進めてしまうとか、効率や先のことを考えずに、やりやすいところだけやって結局無駄にしてしまうとか。私がやったらこうはならないのに、って。

マニュアルを作ってしっかり共有すればわかってもらえるのかと思って、マニュアルの作りこみに時間をかけていたこともありました」

 

石鹸づくり以外の仕事が中心になっていき、
収入も、次の商品のための原材料費よりも、人件費の割合が増えていきました。

 

そんな中で、体調を崩します。
起き上がるのもつらい体を引きずり受診すると、これまでのように無理を重ねることが難しい状態であることが分かりました。

 

物理的に体が動かなくなったことをきっかけに、堺谷さんは仕事との付き合い方を考えなおすことになりました。

 

「石鹸工房を始めてから、24時間365日、いつもいつも石鹸のことを考え、がむしゃらにやってきました。

でもこれから先もずっと、無理し続けることはできないということがわかったんです。この先エレナフローラは、どんなふうにしていけば良いのだろう、と考えるようになりました」

 

かわってくれていたスタッフの方との関係を見直し、
もう一度、自分の手で作ろうと思いました。
残ってくれたスタッフは、信頼して任せられるひとりだけ。

いまは毎日ではなく、決めた日に、自分のペースで集中して石鹸を作ります。

石鹸に使うカレンデュラオイルも花とオイルから精製
石鹸に使うカレンデュラオイルも花とオイルから精製

静かに作業を進め、在庫を整えます。

このやり方では、大きく広く拡大することはできません。

 

規模は広げられなくても、医師がエレナフローラの石鹸を知り、療法の中で活用しようとしてくれたり、
温浴施設で採用されたり、OEMの依頼が届いたり、
百貨店のポップアップショップ開催のお声がかかったり。
ネットショップでも、継続して購入される方がいます。

 

エレナフローラの石鹸を、
長く、必要としてくれる人のもとへ届け続けることができるように。
そのためにはどんな風にすれば「続ける」ことができるか?


堺谷さんはいまも、働き方を模索している最中です。

07│表に見える世界と、裏側の姿

「石鹸をつくって売ろうとしたことで、
甘い、すっぱい、苦い…いろんな味を味わいました」

 

そう静かに話す堺谷さんは、石鹸づくりを通して、苦い経験もしました。

 

工房を見学した人が、まったく同じ材料を使い、見た目もまるで同じものを作って販売するようになってしまったこともあれば、

 

難しい石鹸の製造販売を実現したことを妬む人からなのか、脅迫文が届き続けたこともありました。

 

「SNSとか表面では、辛いことや苦しいことは書きません。良いことだけを書きます。石鹸を手に取ってくれた方が、1日の終わりにほっとできたり、励まされたり、そんなふうになることを願って石鹸を作っているので、当然です。

 

でも、裏側では本当に、犬かきのようにずっともがいているんです。

「工房の家賃や光熱費、保険など、出ていくお金は決まっているけれど、売り上げには波があります。原料も、始めたときには考えもしなかったほどに高騰しています。

先行きの見えない不安に、ずっと向き合っているんです」

重たい作業も洗い物もひとりで行う
重たい作業も洗い物もひとりで行う

それでも。

 

工房で作業する様子を撮影させていただいていると、堺谷さんは微笑みながらつぶやきます。

 

「見て、かわいいでしょう」

石鹸を磨いてできた、カレンデュラが点々と混ざった削りかすにも、

「ね、これなんてほんとに、かわいい」

「本当にかわいい、って思うの。ずっと」と、おっとりと話す堺谷さんは、きっと自分で自覚していないのでは。


石鹸に対する具体的な質問に答えるときだけ、話すスピードと言葉の強さが増し、とても鋭く速くなること。


石鹸を作るときの作業が早く、力強いこと。

堺谷さんにとって石鹸づくりは「やるかやらないか」「辞めるか続けるか」といった選択肢ではなく、魂そのものなのでは、とすら感じます。

むすび

いつも控えめに、「自分に自信なんて、ぜんぜんない。持ったこともない」とほほ笑む堺谷さん。

そんな堺谷さんが、周囲から無謀とも捉えられるような挑戦をした背景には、お母さまの存在があったのだろうと思います。

 

お母さまは、最後まで仕事をしていました。
自分の人生を、自分で選び続けていました。

その姿から、どんな仕事をして、どう生きるのかと、問い続けられていたのではないかと感じます。

 

「私も、最後まで、自分の仕事をしていたい、って思うんです。
だから自分の仕事は、自分でつくる必要があるって思いました」

「私には母のように、事業を大きくする才能はなかったかもしれません。

だけど、エレナフローラの石鹸が、少しでも誰かの役に立っていてくれたらうれしい。必要としてくれる人のところへ届けることができれば、それでいいのかもしれない、と思って」

 

先のことは、わからない。
正解も、わからない。

 

それでも。

石鹸をつくり続ける先に、次のはじまりが待っています。


はじまりの人」は、
小さな“はじまり”に光をあてる記録です。

 

目に見える成果や結果だけではなく、
その奥にある想いや選択に、静かに耳を傾けていきます。

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※堺谷さんへのインタビューをもとに作成したストーリーブックをこちらよりご覧いただけます。