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はじまりの人 03|「うに」で生き方を変えた人

何歳からでも、人生は動き出すという選択

「目標があれば怖くない」 そう言い切る人に、葉山の海で出会いました。

葉山うにの舞台、葉山の真名瀬漁港
葉山うにの舞台、葉山の真名瀬漁港

60歳を過ぎてから、人生を変える挑戦をする人はどれくらいいるでしょうか。

しかも、海の仕事とは無縁だった人が、地域の漁業に飛び込み、

新しいブランドを生み出してしまうなんて。

「はじまりの人」3人目は、
葉山で「葉山うに」を手がける
くぼたマリンファーム代表の窪田さんです。

一人の人間が目標を持って本気で動くことで、

地域を動かし、人を巻き込み、未来が変わっていく。

そのことを知っていただける内容を、ぜひお読みください。

01│「葉山うに」とは

「葉山うに」をご存じですか?

 

葉山うには、神奈川県葉山町の真名瀬漁港で養殖され、

そのおいしさから採用する料理店も増え、いま注目されているブランドウニです。

 

葉山町のふるさと納税返礼品にも選ばれており、「ふるさとチョイス」や「楽天市場」などで申し込みができます。

ウニは近年、

・海藻を食べてしまい磯焼けの原因になる

・海藻が減り、身が入らない“痩せウニ”が増えている

といった海の課題とともに語られることが多い生き物でもあります。

中身がからっぽのウニ
中身がからっぽのウニ

くぼたマリンファームでは、駆除され廃棄されていた痩せウニに、自家養殖で育てたワカメや、収穫した天然の昆布やワカメを与えて育て、うまみが詰まったおいしいウニとして出荷しています。

中身が詰まったウニ
中身が詰まったウニ

どうして廃棄されるウニを育てようと思ったのか。

 

そこには、想像とはまったく異なる「ウニとの出会い」がありました。

01|ウニとの出会いは世田谷の自宅

窪田さんは、もともと葉山に住んでいたわけでも、海の仕事をしていたわけでもありません。

東京都世田谷区に住み、六本木で音楽関係の仕事をしていました。

2022年7月、窪田さんは何気なくテレビ番組を見ていました。

そこで紹介されていたのが「キャベツウニ」。

三浦半島で、駆除対象のムラサキウニに廃棄されるキャベツの外葉を与えて、ウニを育てる取り組みです。

 

窪田さんは、番組を見終えるとすぐに三浦キャベツウニの研究をしている神奈川県水産技術センターに電話をかけ、翌週には実際に行ってみました。

 

「ほんとかな、と思ったんだよね」

 

海の生き物に陸のキャベツを与えて、ほんとに育つの?

そんな純粋な好奇心だったと言います。

 

都内からやってきた窪田さんに研究者は、

「あなたにもできますよ」と、研究資料を見せてくれました。

 

ここから、窪田さんのウニとの付き合いが、はじまりました。

02|キャベツだけではおいしくない

水槽業者を探し、世田谷の自宅に水槽とろ過機を設置。

 

逗子の漁師さんを紹介してもらい、駆除された痩せウニ35個を分けてもらいました。

 

実際にキャベツを与えて育ててみる窪田さん。

2ヶ月後、本当にウニの身は、パンパンに詰まりました。

 

しかし——

 

おいしくなかった。

 

「食材としては問題ない。でも、ウニの味がしなかったんだ。

 

何を食べさせればあの味になるのか考えて、スーパーで買った乾燥わかめと昆布を3週間与えてみた。そしたら、うまい『ウニの味』になったんだよ。

 

これ、面白い!いっぱい育てたら売れるじゃん!って思って」

 

この瞬間、窪田さんの人生は大きく動きはじめました。

足元のビーサンは葉山の公式履物
足元のビーサンは葉山の公式履物

03|100回断られても怖くない理由

思いつくことと実行することとは別の話です。

 

養殖場所、協力してくれる漁協、ウニを採ってくれる人。

すべてゼロから探さなければなりません。

 

が、現実は甘くありません。漁師の世界は、地縁や習慣が重んじられる非常に閉鎖的なコミュニティ。組合員でもない「よそ者」が協力を仰ぐのは至難の業。普通なら門前払いを食らって諦めるものです。

 

ところが窪田さんは、養殖場所と協力してくれる漁協を探し、半年間、週に2回、三浦半島に通い続けました。

「どこも門前払いだよ。ある漁協なんて、何度電話しても出ないし、9回直接行っても誰も会ってくれなかった。それが、普通なんだよ」

 

そんな中、最初にウニを分けてくれた漁師さんの紹介で、ようやく葉山漁協へのプレゼンにこぎつけます。

 

プレゼン資料は?

 

「なんもないよ。体一本、情熱一本(笑)」

「絶対に良いものができる自信があった。『葉山ブランドのウニを作りましょう』と必死に訴えたよ。その熱意を、葉山漁協だけが受け入れてくれたんだ」

04|3ヶ月の沈黙を破った「片手」の合図

晴れて真名瀬漁港で養殖を始めた窪田さんですが、現場の漁師さんたちの視線は冷ややかなものでした。

関係者以外立ち入ることもできない漁港エリア
関係者以外立ち入ることもできない漁港エリア

窪田さんは毎朝、漁師さんたちの近くまで行き、大きな声で挨拶しました。

 

「おはようございます!くぼたマリンファームです!今日もよろしくお願いします!」

 

しかし、返ってくるのは沈黙。無視され続ける日々が続きました。

それでも諦めることなく、翌朝も、その翌朝も、声をかけ続けました。

 

変化が訪れたのは、3ヶ月が過ぎたある朝のことでした。

いつものように挨拶をすると、一人の漁師さんが、手元を見たまま無言で片手を上げたのです。

 

「わかった」という無言のサイン。

そしてその週、3人の漁師が窪田さんのもとに歩み寄ってきました。

 

「……エサは足りてんのか?」

 

その瞬間、窪田さんは心の中でガッツポーズをしました。「よっしゃー!」と。

 

この3ヶ月目の日を境に、漁師やダイバーたちの協力が得られるようになり、本当の意味での「葉山うに」が動き出したのです。

05|広がりはじめた「葉山うに」と地域貢献

試行錯誤を繰り返し、ようやく販売にこぎつけた「葉山うに」。

2025年6月にはお披露目会が行われ、葉山町長や横須賀の関係者など、多くの人たちが駆けつけました。

出荷直前にウニが放卵して中身が空になってしまう困難も乗り越え、2025年12月に事業は黒字化。

出荷準備の作業を地元の障害者就労支援施設のメンバーが担うなど、地域の雇用創出にもつながっています。

殻割りや選別などを作業所のメンバーが担当
殻割りや選別などを作業所のメンバーが担当

さらに海面養殖だけでなく、企業と連携した「陸上養殖」のプロジェクトも始動。

駆除ウニの入手範囲も拡大しています。

06│生き方は何歳からでも変えられる

窪田さんがウニ養殖を志したのは62歳のとき。縁もゆかりもない土地で、ゼロからのスタートでした。

 

漁協や漁港をはじめ、銀行や役所に「また来たのか」と煙たがられても通い続け、目標を一つずつ形にしてきました。断られ続けることに、恐怖はなかったのでしょうか。

 

「目標があれば怖くない。創業時から8期先までの計画を立てているし、今でも毎週銀行に報告をしに行っている。

目標がある人は進める。結果がついてくるように動くだけだから、迷いはない。

 

必要なのは『覚悟』を持つことだけだね」

引き合いが多く、すぐに出荷されていく葉山うに
引き合いが多く、すぐに出荷されていく葉山うに

もともとは、自分のために生きてきた人生だったと窪田さんは言います。

けれど、目標に向かって走るうちに、気づけば周りの人たちのために動くようになっていました。

 

「たくさんの人に協力してもらって葉山うにがある。言ったことは絶対にやる。そしてみんなに恩を返したい。自分だけが良ければいいんじゃなくて、みんなが良くなればいいと思ってる」

 

60歳を過ぎて出会った新しい目標が、窪田さん自身の生き方も変えていました。

左は森戸神社の沖合約700mの名島に立つ鳥居
左は森戸神社の沖合約700mの名島に立つ鳥居

07│葉山うにと六本木のはなし

ここまでくると、気になるのは葉山うにの味です。窪田さんのご厚意で、出荷前の葉山うにを食べさせていただきました。

 

私もそれなりに年齢を重ね、多少なりともウニは食したことがあります。

いざ、ひとくち…

 

ーーーー??

 

しばらく言葉が出ませんでした。

 

いちばん驚いたのは、「ウニを噛む」感触です。

トロリとしていなくて、しっかりと食感があるんです。

とてもやわらかいのに、歯ごたえがある。

カタチがしっかりとしていて、一瞬「シャキ」といいます。

 

噛んだ歯ごたえがあったときには、ふんわりと心地よい、さわやかな、品の良い海風のような塩味だけ。

しばらくたってから、ふわ~んと、繊細な甘さが口の中に広がっていく…

 

このウニを食べて、私は確信しました。

 

「これは、おいしいものが何か、価値のあるものは何なのか、知っている人が生み出す味だ」

 

そして納得がいきました。窪田さんが葉山うにを始めるまでの人生のすべてが、このウニの味に凝縮されているんです。

 

最後に、三浦半島にやって来るまでの窪田さんを紹介します。

08│海に来る前から、ずっと“挑戦者”だった

窪田さんは音楽をやるため18歳で上京すると、組織に属さず、腕一本で人生を切り開きました。

 

昭和のサロンやスナックでは、弾き語りが空間の質を決める重要な役割を担っていました。携帯電話もない時代、仕事を生むのは人脈と信頼だけ。「やるからには一番になる」と決めていた窪田さんは、徹底した準備と交渉で、吉祥寺、渋谷、六本木へと、活動の場を広げていきました。

 

「シンセサイザーを4台、同じセットを4つ用意して4件の店に置いておいたんだよ。フロッピーとギターだけ持って回ればいい。そんな効率を考える奴は他にいないから面白がられてね」

 

リクエストは絶対に断らない。最新曲の譜面もいち早く手に入れる。そうして六本木で長年生きてきました。

 

「六本木っていうのは、あらゆる業界のトップが集まる場所なんだよ。そこで自分の腕で何十年も生きてきた。うまいものも、いっぱい食べたよ。」

 

——これだ、「葉山うに」がおいしいわけ。

 

頂点を知る人がつくる味。

 

窪田さんの「一番」へのこだわりは、今も加速しています。

2024年の横須賀スタートアップオーディションでの3冠獲得、巨大組織「中央魚類株式会社」との取引、そして日本初の「特別採捕許可」の取得。始まったばかりの事業でありながら、周囲には次々と「一番」の称号が生まれています。

 

だけど、「一番」の定義って難しいですよね。

 

学校のテストや徒競走ならわかりやすいけれど、社会での「一番」は人それぞれ違う。

 

でも。窪田さんの話を聞いていて感じました。

 

「一番になる」とは、最強の自己肯定感なのかもしれません。

自分で「これが一番だ」と目標決め、その目標に向かって全力で動く。

 

「一番」を決めるのは、自分自身なんです。

むすび

磯焼け対策のウニの話を聞きに行くつもりでした。

でも実際に出会ったのは、人生を動かしてしまうほど強い目標を持った人でした。

 

「葉山うに」の表の面には見えない、裏にある人の想いや葛藤。

窪田さんのお話は、私に「はじまりの人」をはじめるきっかけをくれました。


はじまりの人」は、
小さな“はじまり”に光をあてる記録です。

 

目に見える成果や結果だけではなく、
その奥にある想いや選択に、静かに耳を傾けていきます。