足元の自然を守ることが、未来につながるという選択
横浜市栄区に残された里山、瀬上沢。
JR港南台駅から徒歩20分。横浜市栄区上郷町に、約33ha(東京ドーム7個分)もの広大な里山が広がっています。それが「瀬上沢」です。
山に囲まれた谷戸には、
かつて人の暮らしと自然が重なり合っていた風景が、
そのままの姿で残されています。
湧き水が流れ、湿地には小さな生き物が息づき、
木々のあいだを風が抜けていく。
まるで時が止まってしまったかのような場所。
棚田の周囲を囲むように植えられた木々は実を落とし、
歩く人のいなくなった道は、長い年月踏み固められ、
いまも道の姿を残します。
まるで主の帰りを待つラピュタのようです。
けれどこの場所は、
何度も開発の危機にさらされてきました。
そのたびに問い続け、守り続けてきた人がいます。
「はじまりの人」2人目は、
瀬上沢の保全活動を20年以上続けてきた
「ホタルのふるさと瀬上沢基金」代表の角田さんです。
01|この風景の中で育った記憶
角田さんは、この場所で生まれ育ちました。
かつて周囲は里山に囲まれ、
子どもたちは山や川を自由に行き来しながら遊んでいたといいます。
「誰の土地かなんて気にしたことはありませんでした。
人も動物も、生き物も、全部がつながっていたんです」
大人たちは、
生き物が子育てしない時期に草を刈るなど、
自然とともに暮らしていました。

けれど、その風景は失われていきます。
02|変わってしまった風景の中で
角田さんがこの地を離れ、戻ってきたとき。
そこにあったのは、
かつてとはまったく違う景色でした。
山は削られ、
延々と続く住宅とマンション。
元の家がどこにあったかわからないほど、
人の暮らしと自然との距離は遠ざかっていました。
そんな中で持ち上がった、瀬上沢の開発計画。
「定年後はゆっくりゴルフでもやろう」と、角田さんが実家に戻ってきたときでした。
もともと高度経済成長期、周辺の港南台や洋光台が次々と宅地開発されるなか、
瀬上沢にも同様に山を削り、谷を埋める計画がありました。
しかし、バブル崩壊などの影響で開発が遅れた結果、奇跡的に手つかずのまま残されていました。
ここに2006年、大規模な開発計画が持ち上がりました。
21ha(横浜スタジアム8個分)を切り開き、巨大商業施設と宅地を作るというものでした。
これに疑問を呈し、2008年に角田さんを理事長として「認定NPO法人ホタルのふるさと瀬上沢基金」が設立されました。
9万人を超える市民の反対署名が集まり、一度は横浜市が計画を却下。瀬上沢は外界から遮断されたまま、静かに時を刻む場所となりました。
ところが2014年、三たび開発の波が押し寄せます。
マンションやショッピングモール、老人ホームなどを建設する新たな計画を、当時の横浜市が許可したのです。
土地所有者である建設会社の申請に行政の許可が下たのなら、もう止める術はない――。
誰もがそう思いました。
03|「反対」ではなく「問い」を
瀬上沢には手つかずの里山だけでなく、太古の海底環境を示す貴重な遺産である、
160万年前の化学合成貝化石を含む地層が露頭している個所があります。
ほかにも、飛鳥時代の6世紀から7世紀にかけての約100年間、
砂鉄を使った「たたら製鉄」が営まれたことを示す神奈川県最大の製鉄遺構が埋まっていたり、
かつての人たちが掘った灌漑のための水路トンネルがあったりと、さまざま「お宝」が残されています。
開発ではこれらすべてが、コンクリートの下に消えることになります。
角田さんは、声高に「反対」を叫びたかったわけではないといいます。
「その開発は本当に必要なのか、と問いたかった」
人口が減り、社会の形が変わっていくなかで、
これ以上自然を壊してまで進めるべきものなのか。
子どもたちに、未来に、
つけを残すだけではないのか。
「定年後はゆっくりゴルフでもやろうと思って戻ってきた。
でもおかしいことばっかりだから、
しょうがないな、やるしかないか、と(笑)」
角田さんたちは、ひとつひとつの矛盾を丁寧に調べ、投げかけていきました。
「盛り土の安全性は確保されているのか?」
「湧水のある湿地を埋め立てて崩落の危険はないのか?」
「不都合な真実」を見える形にし、対話を継続しました。
横浜市や企業に提出した117件にもおよぶ陳情が、こちらのサイトに掲載されています。
感情ではなく、対話を。
対立ではなく、問いを。
その積み重ねが、長い時間をかけて状況を動かしていきました。
04|守られたもの、これからのこと
粘り強いやり取りによって着工が遅れるなか、社会情勢が大きく変化します。
物価高騰、人手不足、そしてSDGsや生物多様性への意識の高まり。
決定打となったのは、他地域で発生した盛り土崩壊事故による規制強化でした。
そして2023年、ついに企業側は開発断念を発表。
33年間に及んだ開発計画は白紙となり、奇跡の里山は、その姿を未来へとつなぐことになりました。
開発撤回から時が経ち、瀬上沢では新たな歩みが始まっています。
大きなトピックは、湿地の一部が環境省の「OECM(民間等の取組により保全が図られている区域)」に登録されたことです。
この写真を撮影したときには、サギが足を小刻みに動かしてエサを探しながら歩いていました。
「活動をするなかで、笑われることもありました。
こんなちっぽけな緑を守ったところで、
よそでどんどん森林破壊をしているじゃないか、意味がないと」
確かに大きくはありません。
「でも目の前にある小さな緑を大切にすることが、巡り巡って大きな環境保護につながる。
遠くのどこかではなく、自分の足元から始まるんです」
角田さんの足元の取り組みから、
奇跡のように残された里山。
けれどそれは、「そのままにしておけばいい場所」ではありません。
人の手が入らなければ、かつての里山の姿は保てない。
「これからは、どう守っていくか、そのやりかたが大切です」
開発が止まった瀬上沢では、土地を所有する建設会社による原状復帰(開発前に投棄された廃棄物の撤去)や、公園整備などが進められています。

「今の整備は、自然の生態系を無視した『工業土木』になりがちです。
樹脂製の木道を作ったり、水を堰き止めたり……。それでは生き物は戻ってきません。
かつての里山で行われていたのは、自然の理にかなった『農業土木』でした。
先人の知恵を借りて、元の姿に近い形に戻していきたい。」

「東京都町田市の『図師小野路(ずしおのじ)』のような、自然と共生する場所が理想です。
横浜にはこういう場所がないので、この瀬上沢がこうした場所になってくれたらと期待しています。」

いつも静かに、時折微笑みながら、話してくれました。
05|むすび
印象に残っている出来事があります。
案内をしていただいたとき、釣りをしていた二人の中学生が、
遊びをやめて一緒についてきたことがありました。
角田さんの話を聞いていると、中学生が、
足元で小さなカニを見つけました。
ここが埋め立てられる予定だと伝えると、
彼はぽつりと言いました。
「そんな……地球は人間だけのものじゃないのに」
静かで、でも深く心から出たような、言葉でした。
あれから4年が経ちました。
あの中学生はいまは高校生かな?大学生かな?
遠くのどこかではなく、
自分の足元にある自然を守ることに、
静かに向き合う大人の姿は、
どんなふうに彼らに写ったでしょう。
ひとりひとりの想いと行動が、
未来をつくっていく。
角田さんの静かな笑顔から、
大きなエネルギーを感じました。

