海で取材をしていたら、70代の漁師さんが近づいてきました。
ひとこと、ふたこと、私のことを聞いてきます。
短く答えると、漁師さんはあごで合図をするようにして歩き出しました。
取材していた相手の方が、
「乗せてくれるって。良かったね」
と言います。
えっ?と思いながら小走りで後を追うと、ライフジャケットを差し出されました。
港に並ぶ漁船は、本来は遠くから眺めることしかできない存在です。
その船がドンっという衝撃とともに海に浮かび、油のにおいを立てながら、風を切って進んでいく。
養殖場を見せてもらい、教えてもらい、気づけば船は港に戻らず、いつも遠く沖に見えていた島を通り過ぎて、さらに沖へと向かっていきました。
漁師さんの粋な計らいです。
何も語らないけど、私が見たいと思っていることを感じて、見せてやろうと思ってくれたんでしょう。
でも、わかっています。
漁師さんが相手にしていたのは私ではありません。
立ちいれる人が厳しく制限される世界。
それでも、
「見てもいいよ」
「知ってもいいよ」
そう思ってもらえたのは、私が取材していた方が情熱をかけて築いてきた信頼の世界があって、たまたま私が訪れたということです。
昨日も似たようなことを感じました。
取材に訪れたイベント会場には、目を輝かせた人たちがたくさんいました。
緊張で興奮しながら、目をキラキラさせるカメラマンたち。
子どもを連れてやってくる笑顔の人たち。
その中心には、そんな人たちを集めている人がいました。
この方の情熱がなかったら、この場は存在すらしていません。
どうしてはじめたの?
大変じゃなかったの?
どうやって続けてきたの?
でも、
人は、自分の内側を簡単には見せないものです。
だから、
「知ってもいいよ」
と思ってもらえることは、特別なことなんだと思っています。
そして私は最近、受け取ってしまった大切な景色をどう扱えば、見せてくれた方に恩返しできるのだろうと考えています。
私の深さでは表現しきれない。
伝える場所が小さすぎる。
そう自信をなくすくらい、魅力的な人がたくさんいます。
今日はこれから、ひとつのストーリーブックを届けに行きます。
その人が見せてくれた景色を、
写真と文章で一冊にまとめたものです。
これが正解なのかは、分かりません。
でも、
「知ってもいいよ」
と見せてもらったものを、
今の私なりに、かたちにして返してみようと思います。

